私の、ユニバーシアード物語

2つの五輪、2つのユニバーシアード。体操への熱い夢は、いまも果てしなく。

◎西川大輔

 幼稚園のころ、僕は体が弱い上に人見知りしていたので「運動でもしたら」という両親の希望で、近くの体操教室に行くようになり、小学校までは、そういう形で好きで楽しく体操をやっていました。中学進学のとき、名門の清風中学から声をかけていただきまして迷いながらも結局、体操の道を選びました。当時、すでに池谷選手などはジュニアで活躍していましたが、僕の場合はきびしい練習についていくのがやっとで、ケガもあったりして、一年間は苦しかったですね。中学3年のとき、東京で開催された国際ジュニア大会に出たのが、最初の国際試合です。清風高校1年のときに、台湾で試合がありましたが、海外といっても緊張するより、逆に楽しんでやれたという記憶があります。

 高校では、山口監督さんに私生活面でもかなりきびしく指導していただきましたが、練習ではよくほめて自信をつけてくださいました。そのとき、「自分は猛練習して、将来はオリンピックに出て、最後にはこうなるんだ」ということを強く思いながら、毎日毎日やっていくとそうなっていくということを教えられました。体操には6種目あって、それぞれ全部が全部違うところがむずかしいし、反面おもしろくもあります。ウォーミグアップから初めて、次々と別の種目の練習をやっていくので、身体もかなりきついけれども、だんだん自分のリズムができていきます。

 瞬発力も、持久力も両方必要ですし、また自分を操るというか、いま自分の頭がどこを向いているかとか、感覚的なものが大事なので、飽きがくることはありませんね。体操のいちばん大変なところは、すごい競争相手がいてそれを越えなければいけないこと。海外の情報はすぐ入ってくるので、その技を研究して自分のものにしていかなければいけない。レース展開があるスポーツでもなく、まさに自分の身体だけのスポーツですから、すべて自分自身にかかってきます。

 また、体操は人に見せる競技で、人が見て点数をつけ、それによって勝敗が決まりますから、日頃の練習がそのまま結果にでるといえますね。 '91年のシェフィールド大会では、旧ソ連チームが優勝し、日本は銀メダル。翌年のバルセロナ・オリンピックでは、日本チームは銅メダルでした。試合のとき、旧ソ連や中国のうまい選手の演技を見ていると、着地がピタリと決まったときなど鳥肌が立ったりすることもありました。今年のバッファロー大会では、団体7位という残念な結果でしたが、僕はおかげさまで床運動で銀メダルをいただくことができました。バッファローといえば暑さがきびしく、大変なところに来たなと思いましたね。2日くらいしたら慣れましたが。食堂は小さくて、食事には苦労しました。でも、オリンピックと違ってユニバーシアードは、やはり全体の雰囲気が明るくてリラックスした感じ。みんな同世代だから、国際交流も気軽にできるし、僕もたくさん海外の友人ができました。男子体操については、オリンピックとだいたい同じ選手が出場していて、レベル的には同程度に高いですね。

 いまは大学院で、修士論文の準備で忙しいんですが、練習時間も一日3、4時間とっています。体操はいくつになっても、できるだけ長く続けていきたいと思っています。大学院のほうもがんばって勉強したいし、その先の進路はまだ未定です。 ユニバーシアード福岡大会には僕も出場権がありますし、ぜひとも出たいですね。海外の大会に参加していても、施設の面や食事の面などで苦労したりすると、日本でやれたらなといつも考えていました。日本の恵まれた設備環境のなかで国際大会がやれる、こういうチャンスはめったにないと思います。特にまだ国際試合の経験の少ない若い選手にとって、こういう機械に外国の選手と試合したり、国際交流を深めたりできことは、とてもすばらしいことだと思うのです。


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