エッセイでジョギング5

井上昌次郎

ウサギとカメが競争してカメが勝った。誰でも知っているイソップ寓話である。カメの勝因は着実に走りつづけたからであった。ウサギの敗因は途中で居眠りしたためであった。この物語の寓意はたいへんわかりやすい。  とはいえ、いくらウサギが自分の俊足を過信したからといって、真剣な競技の真最中に一眠りとはおかしなことではないか。私はもともと生物学者で睡眠科学を専攻する学究だがねこの話を専門の立場から考えてみると、別の寓意が隠されているように思えてくる。

 睡眠は単なる活動停止の時間でなくて、高度の生理機能に裏づけられた適応行動であり、生体防御の技術である。睡眠は脳や体温調節の進化とともに、その役割を拡張してきた。そして、発達した大脳をもつ高等動物ほど、大脳に合目的精のる休息を取らせる意味が大きくなった。だから、小さな大脳で外温性(冷血)のカメと、大きな大脳で内温性(温血)のウサギとでは、睡眠の果たす役割に極端な違いがあることになる。  では、カメはなぜ休まずに完走したのか。変温性のカメは走って筋肉を動かせば動かすほど、体温は上昇し調子がよくなる。速く走れるようになるのだ。途中で居眠りしようものなら、身体はすぐ冷えてしまい、またのろまろとスタートするはめになる。休まず走ったほうが有利なのだ。大脳機能も体温が上昇したぶんだけ向上しているはずである。

 ひきかえ、ウサギはなぜ一休みしたのか。暑い毛皮で覆われたウサギは、疾走すればすぐ過熱状態になる。体温上昇は筋肉活動にとって好ましいかもしれないが、大脳がオーバーヒートすることはたいへん危険である。なにはともあれ、脳の温度を下げなければならない。

 脳の加熱を避ける最良の生理的な手段は睡眠である。そこで、脳は自己防御のため強い眠気を発生させるのである。マラソンランナーが競技後に熟睡することは睡眠研究者によく知られている。ウサギはこの眠気に抗しきれず、不覚にも不覚眠り込んでしまったのだ。

 ウサギが短い間隔で睡眠を繰り返すのは、理に適った生存戦略である。体力の極限に挑むスポーツで勝者となるという非凡な栄冠を捨てて、睡眠によって平凡な一命を守ったウサギは、まことにうつけものの敗者なのであろうか。


スポルテ5の表題に戻る