東京大会の柔道金メダルトリオ、大いに語る。

写真の真中のひとが◎園田義男さんで、左側のひとが◎二宮和弘さんで、右側の人が◎園田勇さんです。

1967年(昭和42年)ユニバーシアード東京大会・柔道。二宮和弘選手(軽重量級)、園田勇選手(軽中量級)と園田義男選手(軽量級)の兄弟も金メダルを獲得。さらに、7年後の'76年(昭和51年)のモントリオール・オリンピックでも、二宮、園田勇選手が見事に優勝を飾るという、柔道史上に輝く記録をもつ福岡出身の3人に当時の思い出などを語っていただきました。

二宮

>ユニバーシアード大会は、私にとって初めての正式な国際大会でした。

園田(弟)

>私も同じです。兄は1年暗い前にデビューしていました。試合会場は武道館だったのですが、PR不足なのか、観客も少なかった。当時はオリンピックも同じで、にぎやかなお祭りムードなんかありませんでしたね。

二宮

>それだけに、国際試合ならではの表現しがたい緊張度で、一種独特のものがありましたね。とくに、柔道の場合は勝つことがある程度義務づけられていましたね。

園田(弟)

>そう。プレッシャーがすごかった。かって当たりまえですからね。私たちが出た頃のオリンピックでも、金メダルが当然、銀や銅でニッコリなんていうのはなかったですね。外国の選手は不思議がっていましたが。でも、プレッシャーを与えてもらうということは、期待されているということだから、幸せなことだと思いますよ。

園田(兄)

>やはり、自分を精一杯痛めつけてがんばったからには勝ちたいし、日頃の苦しい練習に打ち込んでいると、負けるはずはない、勝って当たりまえという気持ちになれる。そこまで自分を追い込んでいかないと、本番で勝てないと思いますよ。

二宮

>よく眠ったという人の神経がわからない(笑)。眠れないくらい気持ちが高ぶっていないと、試合はやれないでしょう。他のスポーツもいっしょですよ。

二宮

>外国の選手とはちょっと組みにくかった。柔道のスタイルがちがいうし、レスリングみたいになにをしでかすかわからない選手もいましたね。最近はルールも変わったし、日本の柔道も変化してきていますが、外国人のマネをするとかえって負けることもある。バルセロナでの吉田選手などは、日本伝統の一本勝ちで見事に勝ちましたね。

園田(兄)

>外国人は「有効」とか「効果」でポイントをかせぐ柔道をやりますが、私は伝統的なスタイルの「一本」をとる柔道を教えています。

二宮

>たしかスイスの世界選手権大会まで「有効は」なかった。当時は、「有効勝ち」なんかとるとコーチにぶんなぐられたですからね。たとえば水泳などでは、新記録を優秀な中学生が出したりしますが、柔道では10年前の選手の方が今の選手より総合的にみて強かった部分があるような気がします。その辺が面白いですね。

園田(弟)

>ユニバーシアード大会は、柔道の出場選手にとってはちょうどいい年齢ですね。技術面でも経験の上でもピークというわけでなく「これから」ということですから。

園田(兄)

>私は2つ上の兄が柔道をやった影響で始めましたが、弟の勇は私がやっていたから始めたようです。ただ、弟だ兄貴だとおもったらやれないから、壁にドーンとぶつけたり、まるでケンカみたいにはげしい稽古をやっていましたね。

二宮

>私の場合、祖父が柔道してましたから、小学3年から始めました。当時は体が大きいのは、相撲か柔道しかない。でも、たくさんの選手を教えていると、体も大きく稽古では強いのに、試合になるとどうしてもダメという選手が必ずいますね。

園田(兄)

>技量が半分、あとの半分は精神力だから。相手をガーッと飲み込んで闘う闘志と気の強さが大事ですね。

二宮

>ルールのある、冷静な闘争ですからね。

園田(弟)

>東京大会では、二宮さんが初日に軽重量級で優勝し、2日目に私が軽中量級で優勝したのですが、兄が勝つまではうれしくなかった。3日目に軽量級で兄が優勝してはじめて喜びがわいてきました。試合のあとは、映画を見たりして東京を楽しみました。今思えば、ユニバーシアード大会はとてもいい思い出になりました。

二宮

>九州の人は特に柔道が好きだからねユニバーシアード福岡大会でも柔道は注目の的でしょう。私たちとしては地元からいい選手がたくさん出て全階級で活躍してもらいたいですね。また、国際女子柔道大会はありますが、男子の国際試合は本当に久しぶりなので、ぜひ男子選手にもがんばってもらいたいと思います。そして、私たちの頃とちがってワーッと盛り上がってほしいですね。


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