UNIVERSIADE−HISTORY

東京でのユニバーシアード開催が決定されたブダベスト大会。

<1965年(昭和40年)ブダベスト大会(ハンガリー)/39カ国・1,728名>

 メキシコ・オリンピック(1968年・昭和43年)までの金メダル獲得総数実に95個という実績が物語るように、ハンガリーは大変スポーツの盛んな国です。このハンガリーの首都ブダペストで1965年(昭和40年)に開催されたユニバーシアード大会に、日本は109名からなる選手団を派遣し、8つの全競技に出場しました。とりわけ陸上競技では、男子100m決勝に飯島秀雄選手がアメリカのアンダーソン選手、カナダのジェローム選手などの世界的走者を破る10秒1のユニバーシアード大会新記録、日本新記録を出して優勝、5,000mでも沢木啓祐選手が13分45秒2の新記録で優勝し、ともに金メダルを収めるという快挙を成し遂げました。

 日本選手団の獲得メダル数は、金メダル5、銀はなく、銅メダル2でした。これに先立ち、「日本学生陸上競技連合」は、1964年(昭和39年)3月にかねてよりの熱望であったユニバーシアード東京招致を決議して、これをJUSBも全会一致で支持しました。その後、日本オリンピック委員会(JOC)、日本体育協会理事会も賛意を表明。政府、国会、東京都もまた東京招致を了承したので、FISUに対して正式立候補を通告する一方、8月3日には「1967年ユニバーシアード東京大会招致委員会」を結成し、本格的に招致運動の展開をはじめました。

 翌1965年(昭和40年)1月にマドリッドで開催されたFISU実行委員会では、北沢清、大島鎌吉両氏が具体的に東京招致への熱意を表明するとともに、各国の大学スポーツ連盟に対しても招致運動を本格化しました。東京のライバルとしてリヨン、リスボン、マドリッドが立候補していましたが、わが国の熱意と東京オリンピック(1964年)の実績評価、FISUの全世界的発展をめざす理想とが実を結んで、8月のFISUブダペスト総会は全会一致で次回ユニバーシアード大会の東京開催を決定しました。


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