スポーツに燃える青春--その1--

◎大古 麻由美選手

女子バレー界に新風。サウスポーのエースは大古2世

<バレーボール>大古 麻由美選手

 名門大阪国際滝井高校バレー部で、3冠達成の原動力となった大古麻由美選手。180センチのサウスポーからくりだす重いスパイクは、ミュンヘン五輪のバレーボール金メダリストで現在全日本男子チームの監督である父、大古誠司氏ゆずりの迫力だ。素質のよさをバネに、持前の粘り強さでめきめき頭角を現した大古2世は、いま新たなバレー人生にさわやかな一歩を踏み出した。

◇まず、ふだんの一日の生活を教えてください。

◆いまは、高校を卒業しましたので、全日本ジュニアの強化合宿に言っていたのですが、こんど春の高校バレーが始まるので、母校の練習に呼ばれて、打つのを手伝ったりデータを取ったりしています。

◇母校は帝国女子高から大阪国際滝井高に名称が変わったそうですが、どんな練習だったのですか?

◆私は中1のときから寮生活をして、高校の練習に参加していたのですが、他の強い高校とちがって、ふだん授業のある比は3時間半から4時間くらいの練習で切り上げていました。それも週2回いるだけでした。

◇それで、なぜ強くなれたのでしょう?

◆ただダラダラ練習してもしようがないですから、集中してやるべき要点をしっかり絞ってやりました。河本監督もそういう自主性を重んじる指導をなさいましたし、試合に向き合うのは私たちですから、自分からやろうという気持ちでやったところがちがうと思います。河本監督はきびしいのですが、その都度適切なアドバイスをしてくださいましたし、一人一人を心身両面から指導していただいたので、ねんざとかのケガも減り、精神的にも安定して練習できました。週に1、2度は休養日もありましたし。

◇心に残っていることがありますか?

◆有名な父のこということで、周りから注目されますので、中学のときはそれがとてもプレッシャーでした。河本監督はみんなが動揺せず、私が普通にしていられるような雰囲気のチームをつくってくださったので、安心してプレーができるようになったんですね。それには感謝しています。

◇つらいと思うことは、あまりない?

◆不調のときなど、お父さんの子なのに…といろいろ悩んだりしましたが、キャプテンさせてもらってるので、自分が悩んだらいけないと。とくに、自分はからだが大きいので率先して一生懸命やるようにしています。それでないと、自分がキャプテンになった意味がないというか。

◇水泳やバドミントンをやったのは、お父さんの指導?また、中学からバレーを始めたきっかけは?

◆バドミントンは小6の1年間やったけど、基礎としてやったので、汗をかかせてもらっていたくらいです。水泳も軽い気持ちでした。とくに計画的な指導ではありませんでした。バレーに興味をもったのは小4のとき、父がロサンゼルス・オリンピックで全日本男子のコーチをしているのを応援したときからです。ルールとか何もしらなかったんですけど。そして4年生からの一年間に身長が10センチも伸びて、これは何かスポーツをやらなくてはとバレーボールを選んだんです。

◇そのとき、お父さんは何と?

◆それはいいことだと言ってもらったんですけど、いま聞くと、バレーは先輩後輩の礼儀やけじめとか社会秩序とかを覚えるし、そのへんのことに完璧になってくれればいいというくらいに思っていたようですね。

◇バレーの名門筑波大への進学を決められたいきさつは?

◆私はずっと地元の実業団へ行きたかったんですけど、バレーが好きでずっとバレーにたずさわっていきたいという気持ちが出てきたんです。大学でバレーと勉強を両立させていきたい。それで、名前もあるし、バレーも強いということで筑波大に決めました父も母も実業団には反対だったので、安心したと思います。

◇ところで、そのお父さんの話を少し…

◆周りの方は「こわい」って言うんですが、私はそのたびに「ちがいます」と言ってきたんです。ただ、あいさつとか上下のけじめとかについては注意されるけど、ふつうのお父さんよりずっと優しいと思いますよ。いまは、バレーの研究のために海外へ行っていますけど、家にいるときは一緒に走ったりしてくれます。父のことを人にあまり言われるのはイヤだけど、私がバレー好きで、父がバレーのおもしろさを知っている者としていろいろな経験からアドバイスしてもらえるのは、やはりしあわせだと思っています。尊敬する人はと言われれば、迷わず父ですね。

◇スポーツ以外の趣味は何ですか?

◆音楽を聴くのも好き。だけどいまは妹や弟としゃべったり、家族といるのがいちばん楽しいです。

◇好きな言葉ってありますか?

◆私にとっては、「無心」ということがこれからもすごく必要ではないかと思っています。


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