エッセイでジョギング

「スポーツと脳」

◎養老孟司

 私はスポーツはまったくダメである。とくに球技、あれがいけない。テニス、ゴルフ、野球、バレー、バスケット、サッカー、ともかく全部ダメ。ラグビーは、厳密には、球技というより、楕円体技かもしれないがねこれも私はまったくダメ。

 丸いものを追いかけて喜ぶ。これは人間の属性だろうか。もしそうなら、私は人間の資格を欠く可能性がある。

 なぜ、球技が好まれるのか。丸いものは、たいへんよく転がる。そうかといって、勝手気儘に動くわけではない。玉突きの玉を見ればわかるように、「可視的な」力学の法則によく従う。しかも、当然のことだが、球は、どの方向からの力に対しても、平等にふるまう。そこから、玉の動きに対して、相当程度の予測可能性が生じる。だから、球技が面白いのではないか。

 もしそうなら、その面白さは、以外にも、論理的な面白さだ、ということになる。身体を使うばかりがスポーツではない。玉の運動を力学的に予知し、それに対して、適当な運動上の対策を講じる。それが球技であり、そこに人を強く引きつけるものがある。そういうことになる。

 子ネコにマリを与えて遊ばせる。しばらくはじゃれて遊んでいるが、やがて退屈する。これを見ていると、同じマリを扱っても、人間はあんがい頭を使っているのではないか。そんな感じがするのである。

 スポーツは脳を使わなくてはできない。じつは、それが私の特論である。別にスポーツに限らない。あらゆる運動は、われわれの身体が知っている、力学的法則の実現なのである。そうした実現に対して、エンドルフィンが出る。すなわち快感を感じる。これは、たいへん合い目的的なできごとであろう。

 われわれは、五億年を越える歳月の間、この地球上の重力場の中で、「運動」してきた。だから、重力場の持つ性質は、いわゆる古典力学として、われわれの身体に完全に取り込まれているのである。

 もちろん、脳のなかには、そうした場における運動の法則が、きちんとプログラムされて入っているはずである。あんがい多くの人が、そのことに気づかない。それは、人間が生まれて、ゼロから運動を学ぶ。そう考えるからであろう。ニュートン力学など、学校で教わるまでは、知らなかった。残念でした。身体の方は、それをとうの昔に「知っている」のである。ニュートン力学を知らなければ、この地球上で、運動することはできない。

 ゼロから学ぶにせよ、遺伝的な背景があるにせよ、われわれの脳と身体は、古典力学をしっかりと身に着けている。スポーツとは、その事実の上に初めて成立するものなのである。


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